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日本競馬の最高峰!日本ダービーの魅力と名レース3選

日本各地で開催されるレースを勝ち抜いた名馬だけが参加出来る日本ダービーは、競馬ファンにとって夢の舞台です。今まで競馬に親しんでこなかったという人も、日本ダービーで繰り広げられるレースをご覧になれば魅了されることでしょう。今回は、特に白熱した3つのレースとともに、歴史ある日本ダービーの魅力をご紹介します。

日本ダービーには、全国から名馬と名旗手たちが集結

日本ダービーは、東京駿馬というレースの通称です。
イギリスで開催されていたダービーステークスのように大規模なレースを開催し、駿馬の産馬を奨励することが目的だったのです。
優れた馬を育て、多額の賞金を獲得することが、騎手や調教師のモチベーションとなっているのです。

競馬の祭典「日本ダービー(東京優駿)」。毎年5月の末に東京競馬場で行われるビッグイベントで、競馬関係者全ての目標かつ憧れの舞台が日本ダービーです。

毎年7000頭近く生産されるサラブレッドの中の精鋭中の精鋭18頭のみが出走できるレースだと言えば、そのレースの重みが伝わるのではないでしょうか。

出典:http://supokane.com/derby-shokin/

この認識は現在に至っても受け継がれており、日本各地のレースを勝ち抜いてきた名馬たちが一堂に会し、ここでしか見られないレースを繰り広げます。
他のG1レースと比較しても、その賞金額は群を抜いて高いため、優れた馬のみが参加を許されるのです。

最高峰のレースは賞金額も最高峰!

日本ダービーの1着賞金は2億円(※2015年現在)

2億ですよ。2億!競馬関係者全ての夢の舞台だけあってさすがな金額です。



そして、2着以下の賞金額は以下の通りです。

2着・・8000万円

3着・・5000万円

4着・・3000万円

5着・・2000万円



一般的なG1レースの賞金が1億円から1億3000万ほどなので、ダービーがどれだけ別格なのかこれを見るだけでも分かりますよね。

出典:http://supokane.com/derby-shokin/

実力のある馬たちが、歴史と伝統を作る

1932年の初開催以来、厳格な出場条件によって出場する馬が選別されてきました。
3歳馬のサラブレッドで、なおかつ国内のレースで一定以上の勝利数と賞金を獲得しなければいけません。
すなわち、日本中で最も優秀な馬と騎手によって繰り広げられる最高峰のレースなのです。

この日本ダービーは日本国内で催されている競馬の中でも、特に歴史が古いものであるとして知られており、はじめて行われたのは1932年・昭和7年のことでした。
イギリス競馬において200年以上の歴史を誇る伝統あるレース、ダービーステークスをモデルとしたことが名前の由来でもありますが、
第3回に開催する競馬s錠を現在の東京競馬場に移したほかは変更点が無く、常に一定の条件のもとでレースが行われています。

出典:http://www.kervanhostel.com/japan-derby/

他のレースの中には出走に際して最低年齢以外には特に条件を設けていないものも多くありますが、日本ダービーには厳格な出走資格が決められています。
出走できる馬としての資格を得るための条件はまず、サラブレッド系種として指定される3歳馬であることです。

出典:http://www.kervanhostel.com/japan-derby/

もともとは国内の馬しか参加出来ませんでしたが、2010年には外国で調教された馬も参加するようになりました。
これによって国際競争にも指定されるようになり、日本だけでなく世界的にもレベルの高いレースが展開されています。

次の条件となるのが、JRA・地方競馬会のどちらかに所属しているか、外国で調教を受けた競走馬であることです。

出典:http://www.kervanhostel.com/japan-derby/

最も難しい条件となるのが「獲得賞金と成績」です。
日本ダービーは日本競馬会における最重要といって過言ではないレースですから、一度も勝ったことが無い馬が出走することは出来ません。
皐月賞において4着以内に入る、青葉賞で2着以内に入る、プリンシパルステークスで優勝するのいずれかの成績を収めた競走馬は優先出走枠を貰って高確率で出走することができます

出典:http://www.kervanhostel.com/japan-derby/

いずれにも該当していないのであれば出走を希望する馬の中から、獲得賞金がより多い馬たちが出走することができるのです。
歴代優勝馬を見てもオルフェーヴルやウオッカ、ディープインパクトやナリタブライアン、トウカイテイオーのように、日本国内で一大旋風を巻き起こした名馬たちの名前が連ねられています。

出典:http://www.kervanhostel.com/japan-derby/

そして2016年の日本ダービーは?

2016年の日本ダービーは、例年通り府中の東京競馬場で5月29日に開催されます。
以下のリンクには出走予定の馬も載っていますから、どの馬が勝つのか予想を立ててみるのも良いでしょう。

競馬専門紙「優馬」によるスペシャルサイトです。
開催についての詳細情報や想定オッズ(馬券が的中した場合の倍率)も記されています。

間違いなく今年も、以下でご紹介するような名レースが見られるはずです。

少し予習していこう!日本ダービー史に輝く名馬、名騎手、名勝負

19年ぶりの三冠馬、1983年 ミスターシービー

プロ野球でいう三冠王のように、特定のタイトルを総取りした馬のことを三冠馬といいます。
牡の3歳馬が参加する「皐月賞」、「日本ダービー」、「菊花賞」のすべてで優勝した三冠馬は競馬界のスターです。

特定の3つのレース全てに勝った馬に贈られる称号が「三冠馬」である。もちろん、ただのレースではなく、1つ1つが最上級の格を持つレースである。日本では「皐月賞」「東京優駿(日本ダービー)」「菊花賞」の3レースに勝利した馬を三冠馬としている。

出典:http://specialweek.gozaru.jp/racing/sankan.html

ミスターシービーという馬は、1983年に19年ぶりの三冠王を獲得しました。
競馬人気に陰りが見え始めていた当時、ミスターシービーの登場によって競馬は再び息を吹き返したのです。

当時、競輪と同じく売り上げが伸び悩んでいた中央競馬は、そんなレベルで話題を集める馬を心待ちにしていた。そこに天馬トウショウボーイ産駒・ミスターシービー。これが期待通りにシンザン以来19年ぶりの三冠馬になったのだから、ファンも関係者も沸きに沸いた

出典:http://www.nikkankeiba.co.jp/chuo/jra50/22/22.html

ミスターシービーのレースは、上の動画でもお分かりいただけるようにスロースタートで徐々にペースを上げるスタイルです。
最初にリードして、そのまま逃げ切る馬が有利とされている日本ダービーで、このようなタイプの馬が勝ったことは異例の事態です。
このレース展開に、当時のファンは大いに興奮したものでした。
ドラマティックなレース展開と圧倒的な結果を残したミスターシービー。
彼が1着になった日本ダービーは、久しぶりの三冠馬誕生という話題とともに現在でも語り継がれています。

元来、ダービーというレースは好位につけて抜け出す競馬をしないと勝つのが困難と言われているのだ!(俗にこれは「ダービーポジション」とかって良く呼ばれてるんだ(∩.∩) ) ところがこの年のダービーで、ミスターシービーは日本ダービーに勝つ為のそんな常識を根底から覆すレースぶりを見せた! スタートしてしばらくミスターシービーは何と出走21頭の中の21番目・・・つまり最後方をすすんでいたのだ! 向こう正面でもまだ最後尾グループにいたぐらいだったんだよ! しかし、しかあ~~し!!3コーナー過ぎで徐々にスパートをかけるともう他の馬とのスピードの差は歴然! もう直線入口では先頭に並ぼうかという勢いだった! この時点でもう勝負あったね! 結局このレース、ミスターシービーは他の20頭をゴボウ抜きにして堂々と優勝したのだった! 

出典:http://homepage3.nifty.com/~penta1/meiba1.htm

柴田政人騎手の執念が結実、1993年 ウイニングチケット

競馬は、馬だけでなく騎手の物語でもあります。
1993年の日本ダービーでウイニングチケットが優勝を制したことで、大ベテラン柴田政人騎手の夢は叶えられることとなったのです。
この年の日本ダービーは、ビワハヤヒデとナリタタイシン、そしてウイニングチケットの3頭が本命といわれていました。
レース展開もまさにその通りで、最後の直線まで勝負の行方は誰にも予想出来なかったのです。

1993年の日本ダービーを制し、19回目の騎乗となる柴田政人騎手に念願のタイトルをもたらしたことでも記憶される本馬。デビュー2戦目から4連勝で弥生賞を制してクラシック候補とされながら、皐月賞は4着に敗退。しかし、最高の調子で迎えた日本ダービーでは後方から徐々に位置を上げると、直線坂上で一気に抜け出し、ライバルのビワハヤヒデとナリタタイシンを抑えて優勝を飾った。

出典:http://prc.jp/jraracingviewer/contents/yushun/090.html

当日、ファンたちの間では柴田政人騎手に期待を寄せる人たちが多く見受けられました。
過去18回も東京ダービーに出場しながら、優勝出来ていなかったという事実を誰もが知っていたからです。
「ダービーを勝てたら騎手をやめてもいい」と発言したほど、日本ダービーへの想いがありました。

時代の変化とともに、ドライになっていく一方の日本競馬の中で、最後まで自分の生き方を貫きながら超一流の実績を残してきた彼が、どうしても手にすることのできなかった勲章・・・皮肉なことに、それが日本競馬の伝統を象徴し、最高のレースとして位置づけられてきた日本ダービーだった。年齢を重ね、騎手生活が残り少ないことを悟って

「ダービーを勝てたら、騎手をやめてもいい・・・」

と言い続けた柴田騎手の熱情にもかかわらず、ダービーの女神は彼を袖にし続けてきた。

 そんな柴田騎手に、「ダービー・ジョッキー」の栄光を与えたのが、ウイニングチケットである。それまで幾度もの挫折と危機を経てようやく最高の栄誉を手にした彼ら・・・柴田騎手とウイニングチケットは、間違いなく日本競馬史上最高の名場面の主役として輝いていた。

出典:http://www.retsuden.com/vol15-01.html

その想いがウイニングチケットにも伝わり、93年のダービーでようやく実を結びます。
レース後のインタビューでの「皆にダービージョッキーの仲間入りが出来たと報告したい」という言葉には、長年悔しい思いをしてきた柴田騎手だからこその重みが感じられます。

柴田政人騎手が念願のダービー制覇。府中に響き渡る政人コール。勝利インタビューで『世界中のホースマンに私が第60回日本ダービーに勝った柴田政人だと伝えたい。』と、物凄く感動したしました。

柴田政人騎手の「ダービーを勝ったらジョッキーを辞めてもいい。」とまで言っていた悲願のダービー制覇。レース後の「マサト」コールが今だに忘れられません。

柴田政人騎手の必死の形相が忘れられません。インタビューも感動しました。「ダービージョッキーになるのは難しいのだな」と知った瞬間です。

出典:http://jra-van.jp/pr/cal2013k/derby/07.html

圧巻の走りで観衆を魅了、2005年 ディープインパクト

最後にご紹介するのは、2005年の日本ダービーです。
優勝したのはディープインパクトと武豊騎手。
競馬に慣れ親しんでいないという人も、両者の名前を一度は耳にしたことがあるでしょう。
その魅力は、圧倒的な強さです。
どんなに勝てなさそうなレースであっても、最後には先頭に立ってゴールしている。
ディープインパクトは、そんな姿を何度も私たちに見せてくれました。
当時の日本ダービー記録と同じタイムで走り抜けたレースの様子は、ディープインパクトという名馬がどれほど優れていたかを物語っています。

日本ダービーではスタートで出遅れ、皐月賞同様後方からの競馬を余儀なくされたディープインパクト。それでも鞍上・武豊はあわてず徐々に進出して行き、直線に向かいました。内ラチ沿いの経済コースを抜け出したインティライミ。一方大外から豪快な、桁違いの末脚で迫るディープインパクト。一時はインティライミがそのまま粘り切るかと思われましたが、ディープインパクトが残り200mで並ぶまもなく交わすと、後は一方的に突き放す圧勝劇!桁違い!化け物!物が違いすぎる!結局2着インティライミに5馬身差を付け、去年キングカメハメハが叩き出した2.23.3の日本ダービータイレコードで圧勝。記念撮影では武豊が2本の指を高々と上げ、ファンに応え、レース後のインタビューでは「感動しながら馬を追ったのは始めての経験」と語りました。

出典:http://all-ss.com/deep-impact.html

タイムだけでなく、配当や支持率によってもその強さは証明されています
単勝支持率、つまりどの馬が1着になるかを単独で予想したときの確率が驚異の70パーセント越えです。
すなわち、単勝で馬券を買った人の7割が、ディープインパクトの勝利を信じていたということになります。
東京競馬場を躍動するディープインパクトの姿は、まさに日本歴代最強馬の名前を彷彿とさせるものだったのです。

勝ちタイムは2分23秒3のタイレコード。単勝支持率はハイセイコーの66.6%を大きく超えて73.4%をマークし、日本ダービー史上1位を記録。単勝配当も日本ダービー史上初の110円(これまでの低配当記録はナリタブライアンの120円)。

出典:http://jra.jp/datafile/seiseki/g1/derby/result/derby2005.html

東京競馬場で伝説の目撃者になる

東京ダービーは、優秀な馬と騎手たちだけでなく、私たちにとっても夢の舞台です。
今年はどんなレースが見られるのでしょうか?
5月29日に東京競馬場に足を運んで、自らの目に新たな伝説を焼き付けましょう。