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インスタントラーメンを生み出してくれた「安藤百福さん」ありがとう!

現在では身近にあって当たり前の存在となった、カップヌードルやチキンラーメンなどのインスタントラーメン。その開発者であり、日清食品の創業者として有名なのが実業家「安藤百福」さんですよね。しかし、彼は一体どのようにしてインスタントラーメンを思いつき、一財を成すに至ったのでしょうか?今回は、意外と知らない安藤百福さんの人生について、詳しくまとめてみました!いま(今日も!)おいしいカップラーメンを食べられるのはこの方のおかげといって過言ではありません。お湯を注いで3分間待つ間だけでも、この方の人生に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

安藤百福って、何をした人なの?

安藤百福(ももふく)氏は、一般的には日清食品の創業者として知られていますが、インスタントラーメンを開発し普及した人物でもあります。
彼がいなければ、今となってはすっかり身近に定着した「チキンラーメン」や、日清食品の看板商品である「カップヌードル」などは生まれず、現在も進化し続けているインスタントラーメン業界の姿はなかったかもしれません。

元々時代の流れをいち早く取り入れ、事業化する才能に長けていたそうで、日清食品を立ち上げる前にも繊維商社や炭焼き事業、学校の設立など、様々な事業に着手し成功を収めました。
2005年には無重力中でもスープが飛び散らない宇宙食としてのインスタントラーメンも完成させ、宇宙飛行士たちからも絶賛されたそう。

日清食品の創業者かつ、インスタントラーメンの開発者!

安藤 百福(あんどう ももふく、出生名呉百福、1910年3月5日 - 2007年1月5日)は、台湾出身の実業家、発明家。日本で「チキンラーメン」と「カップヌードル」を開発し、世界的に普及したインスタントラーメン産業の創始者となった。日清食品の創業者。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%97%A4%E7%99%BE%E7%A6%8F

たった一人で即席麺を発明し、その製法が現在も残されている!

1. 安藤百福は、即席麺とその製法を、誰の力も借りずに全く一人だけで発明した。
  (本田宗一郎も松下幸之助も盛田昭夫も、「独力」での画期的な発明は知られていない)

2. 発明した即席麺も、その製法(瞬間油熱乾燥法)も、今でも形を変えずに残っている。
  (ホンダのCVCCエンジンは今は無く、ソニーのウォークマンも仕組みを大きく変えてしまった)

3. 自らが苦労して発明した即席麺の製法特許を、競合他社に惜しげもなく公開・譲渡した。

出典:http://flatworld.ldblog.jp/archives/5986179.html

製法特許を惜しげもなく譲渡する、顧客第一の精神!

安藤百福が発明し、1958年に発売されたチキンラーメンは、すぐに人気商品となった。だが、それを模倣した粗悪な製品が他社から売られることを誘発してしまうことにもなった。日清食品は、当初それら粗悪な模倣品に対して裁判などで争っていたが、いくら裁判で勝てても、結局は「もぐら叩き」にしかならなくなってしまった。粗悪品は、後から後から出てくるのだ。

出典:http://flatworld.ldblog.jp/archives/5986179.html

この状況に対する「抜本的な解決」が、製法特許の公開・譲渡だったのだ。つまり、それまで粗悪な製品しか作れなかった競合他社でも、日清食品と同レベルの品質のインスタントラーメンを作れるようにすることで、粗悪品が作られることを根本から防止したわけだ。チキンラーメン発売から僅か6年後の1964年のことだ。確かに「お客様第一」の観点からすると、素晴らしい判断だと言える。

出典:http://flatworld.ldblog.jp/archives/5986179.html

日清食品以外にも、様々な事業を成功させてきた!

「誰もやっていない新しいことをやりたい」と、最初に選んだのは繊維事業。22歳の若さでメリヤスを販売する会社を設立すると、大成功を収めました。ほかにも、幻灯機の製造、炭焼き事業、バラック住宅の製造、製塩や学校の設立など、さまざまな事業を手がけた安藤。時代の流れをいち早くキャッチして、すぐに事業化するベンチャー精神と、失敗してもあきらめないバイタリティーは、この頃から芽ばえていたのです。

出典:https://www.nissin.com/jp/about/style/chronicle/

実は苦労も多かった……安藤百福の生い立ちとは

成し遂げたことを語れば、安藤氏はあたかも圧倒的な才能を以ってトントン拍子に世の中を渡ってきたように思えますが、実はそうではありません。
彼は1910年に台湾で産まれ、両親を早くに亡くした後は祖父母の下で育った安藤氏は、父の遺産を基に22歳の時「誰もやったことのない新しいことをやりたい」と、旺盛な好奇心で最初の繊維商社を立ち上げました。

一度は成功をおさめ、日本でも台湾に日本製品を輸出する貿易会社を設立するなどして拠点を広げましたが、第二次世界大戦時に工場や事務所を置いていた大阪で大空襲があり、そのほとんどを焼失。
戦後食糧難に陥り、飢える人々を見て「人間まずは腹いっぱい食べることだ」と思い、新たに製塩業等複数の事業を始めるも信用組合が破たんし、ほぼ無一文に。

しかし、ある時闇市で目にした1杯のラーメンを求めて並ぶ人々の姿を思い出し、そこから「お湯があればすぐに食べられるラーメンを作ろう」と開発に乗り出すのでした。

22歳の時、台湾で繊維商社を立ち上げ、日本にも進出!

22歳のとき父の遺産を元手に繊維商社「東洋莫大小(とうようメリヤス)」を設立した。当時、肌着や靴下など伸縮性のある編み物生地のメリヤスを扱う商社は少なく、事業は成功し、翌年には大阪市に日東商会を設立、繊維産業の本場だった船場の近くに事業拠点を置き、日本で仕入れた製品を台湾に輸出して売るという貿易業務を始めた。ほかにも安藤は、光学機器や精密機械の製造、飛行機エンジンの部品製造などにも事業を拡大する一方、立命館大学専門学部経済科(夜間部)に学んだ。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%97%A4%E7%99%BE%E7%A6%8F

しかし、戦前戦後には苦労を重ね、あらぬ罪を疑われたことも……

戦前戦後には、時代の波に翻弄されて数々の苦労と辛酸をなめ、波乱の人生を過ごすこととなる。軍用機のエンジン部品工場では、国から支給された部品の横流し疑惑が原因で、大手前の憲兵隊本部へ連行されたが、やがて無罪が証明されて釈放された。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%97%A4%E7%99%BE%E7%A6%8F

大阪大空襲で事務所や工場を失くし、徐々に転落へ

第二次世界大戦下では1945年(昭和20年)3月13日から終戦まで続いた大阪大空襲によって全ての事務所や工場を焼失した。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%97%A4%E7%99%BE%E7%A6%8F

終戦後の食糧難を見て「食の大事さ」を痛感する安藤氏

終戦後、食糧難となった日本では、おなかをすかせた人々が街にあふれ、栄養失調のために行き倒れになる人が後を絶ちませんでした。この悲惨な光景を見た安藤は「やっぱり食が大事。食がなければ、衣も住も、芸術も文化もあったものではない」と食の大切さを痛感しました。

出典:https://www.nissin.com/jp/about/style/chronicle/

製塩業をはじめ数々の事業を立ち上げるが、理事を務めた信用組合が破たん!

戦後、百福さんは大阪・泉大津での製塩業を皮切りにさまざまな事業を手がけていきました。

ところが、新設された信用組合の理事長就任依頼を受けてしまった百福さんを待っていたものは、信用組合の経営破綻と理事長としての責任の追求でした。

その為、それまでの財産をほとんど失ってしまい、残されたのは大阪府池田市の住まいだけでした・・・。

出典:http://ninja250ksr.blog.so-net.ne.jp/2010-06-09

「失ったのは財産だけ」と、お湯があれば食べられるラーメンの開発へ!

信用組合の破綻により無一文となった百福さん。

『失ったのは財産だけ。その分、経験が血や肉となって身についた』と考え、終戦直後に思いついたアイデアを実行に移すことに決めました。そう、「家庭でお湯があればすぐに食べられるラーメン」の開発です。

出典:http://ninja250ksr.blog.so-net.ne.jp/2010-06-09

そもそもひとつ事業を立ち上げるだけですごいのに、一度に複数の事業を掛け持ちしたり、その傍ら大学に通ったりと、とにかくバイタリティー溢れる方だったということが分かります。
無一文になりかけても諦めなかったのは、自分の才能とやる気に確固たる自信があったからかもしれませんね。

どうやって思いついた?チキンラーメンの誕生秘話

では、そこからどうやってチキンラーメンの開発に至ったか?というところが気になりますね。
安藤氏は、まず自宅の裏に建てた小屋で「どのようにしてインスタントラーメンを作るか」の研究を始めました。
丸1年間1日4時間睡眠で没頭し続け、死に物狂いの日々だったと言われています。

試作品を積み上げては捨て、積み上げては捨ててを繰り返し、最終的には夫人が揚げていた天ぷらをヒントに「天ぷらの原理を使えば理想のインスタントラーメンができる」ということに気付いた安藤氏。
こうしてできあがったチキンラーメンは1958年に発売され、世間では「魔法のラーメン」と賞賛されたそうです。

自宅裏庭の小屋で、早朝から深夜まで研究に没頭!

自宅裏庭に粗末な小屋を建て、インスタントラーメンの開発に取り組み始めた。「お湯をかけるだけで食べられる簡便性を持ち、工業化され大量生産できる製 品」というイメージはあった。

 めんについては全くの素人だった安藤は、全くの手探り状態。朝5時から夜中の1時、2時まで研究に没頭する生活を1日も休まず丸1年間続けた。

出典:http://www.dreamgate.gr.jp/case/ge_t/id=946

原料の配合から試行錯誤し、試作品を作っては捨てる日々……

め んの原料の配合は非常に微妙で奥が深い。思いつく副原料を次々に練り込んでみたがうまくいかない。製めん機にかけるとぼろぼろになったり、かと思うと団子 状になってへばりつく。つくっては捨て、捨ててはつくる気が遠くなる作業。

出典:http://www.dreamgate.gr.jp/case/ge_t/id=946

やっと配合が決まった後は、成型・乾燥でまた苦心。めんにあらかじめスープの味 を染み込ませ、長期保存に耐えるよう乾燥し、熱湯で素早く戻せるようにする製法を探り当てるまでが、試行錯誤の連続だった。

出典:http://www.dreamgate.gr.jp/case/ge_t/id=946

夫人が揚げていた天ぷらがヒントになり、製法を発見!

ある日のこと、安藤が台所へ行くと妻がてんぷらを揚げていました。熱い油の中に入れられた小麦粉の衣は、てんぷら鍋の中で泡を立てながら水分をはじき出していました。「これだ! 天ぷらの原理を応用すればいいんだ! 」安藤は早速、麺を油で揚げてみると、麺の水分が高温の油ではじき出されました。

出典:https://www.nissin.com/jp/about/style/chronicle/

ほぼ完全に乾燥した状態となった麺は、半年間置いても変質したり腐敗したりしない保存性を獲得。加えて簡便性についての問題も、この製法で解決することがわかりました。注いだお湯が水分の抜けた穴から吸収されて麺全体に浸透し、元のやわらかい状態に戻ったのです。

出典:https://www.nissin.com/jp/about/style/chronicle/

1958年に発売され「魔法のラーメン」として大ヒット!

こうして、インスタントラーメンの基本となる製造技術〈瞬間油熱乾燥法〉のヒントが発見され、1958年8月25日に世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」が発売されました。お湯を注ぐとたった2分で食べられる「チキンラーメン」は、当時の常識では考えられない食品だったため《魔法のラーメン》と呼ばれました。

出典:https://www.nissin.com/jp/about/style/chronicle/

チキンラーメンのみならず、その発想力は看板商品である「カップヌードル」にも活かされました。
カップヌードルは、アメリカ人がチキンラーメンを紙コップに入れ、フォークで食べるのを見たのがきっかけとなって発明されたんだとか。
この時既に50歳を超えていた安藤氏ですが、いくつになっても柔軟な発想力に驚かされますね。

長寿の秘訣は「チキンラーメン」にあり!?

このように、紆余曲折あって開発されたチキンラーメンですが、美味ではあるものの炭水化物と油分が主成分ですし、健康に良いとは言い切れませんよね。
しかし、安藤氏は何と亡くなるまで毎日のようにチキンラーメンを1日1度は食べ続けていたというのです。

健康の秘訣を聞かれると「週2回のゴルフと毎日お昼に欠かさず食べるチキンラーメン」と答えたとも言われているから驚きですね。
これは「チキンラーメンは身体に悪い」という噂を払しょくするためだとされていますが、長生きの秘訣は好きなものを食べ、適度に運動して生きがいを真っ当することだという証明にはなったのかもしれません。

96歳まで生涯現役!チキンラーメンを食べ続けた

 面白いのは「インスタントラーメンは体に悪い」という意見に対して、安藤は誤解だと証明するために毎日、お昼にチキンラーメンを食し続けたこと。そして、96歳という長寿を全うした。死ぬ3日前にはゴルフをし、前日は社員に向けて訓示し、昼ご飯にはお餅を入れたチキンラーメン雑煮を食した。

出典:http://diamond.jp/articles/-/78218?page=2

まさに生涯現役、長寿・健康の秘訣を聞かれると「週2回のゴルフと毎日お昼に欠かさず食べるチキンラーメン」と答え、小食であることも心がけていたという。苦しい時も前を向き、死ぬまで仕事。安藤百福が教えてくれる長寿の秘訣だ。

出典:http://diamond.jp/articles/-/78218?page=2

生誕100年記念には「記念パッケージ」も発売されていた!

日清食品株式会社 (社長:中川 晋) は、日清食品の創業者で、インスタントラーメンの発明者である安藤百福 (あんどう ももふく) の生誕百年を記念し、「チキンラーメン 生誕百年記念パッケージ」「カップヌードル 生誕百年記念パッケージ」「百福長寿麺 鶏だし塩ラーメン」「百福長寿麺 鴨だしそば」を3月1日(月)に全国で新発売します。

出典:https://www.nissin.com/jp/news/1789

「お客様の長寿をお約束する商品ではございません」……

「この商品はお客様の長寿をお約束する食品ではございません」との注意書きがありました。確かに、この名前だとそういう期待を抱く人がいてもおかしくはありません。

出典:http://gigazine.net/news/20100303_nisshin_momofuku/

成功の秘訣は発想力と努力?安藤百福氏の生き様からヒントを得よう

いかがでしょうか?安藤百福氏は日清食品の創業者、そしてインスタントラーメンの開発者としてだけでなく、様々な才能を持ち合わせた人物だったのですね。
若い頃から苦労もされていますが、並々ならぬ発想力と事業にかける執念は、現在の経営者たちにも手本として語り継がれています。

今後経営者として独立を考えている方も、何でもいいからどこかに自分の爪痕を残したい!と考えている方も、彼の生き様を細かく辿って行けば、成功のヒントが得られるかもしれませんよ。